国際的な人権組織のヒューマン・ライツ・ウォッチは今月、現地レポート『ブルドーザーに立ち向かう:マレーシア・サラワク州で木材産業に抵抗するイバン先住民族』を発表。ボルネオ島マレーシア領サラワクの木材コングロマリット、シンヤン・グループ(Shin Yang Group)の傘下にあるゼッティ(Zedtee)社 が、イバン人コミュニティ、ルマ・ジェフリー(Rumah Jeffery)の先住慣習地を同意なしに伐採した詳しい経緯を明らかにしている。
【レポートの英語オリジナル版】 Facing the Bulldozers: Iban Indigenous Resistance to the Timber Industry in Sarawak, Malaysia
ゼッティ社による先住慣習地の囲い込み
ルマ・ジェフリーは60名ほどのイバン人先住民のコミュニティで、ベラウィット(Belawit)川沿いにある長さ40メートルほどの伝統的なロングハウスに住んでいる。住民は食用植物を採り、先祖が植えた果樹を収穫し、先祖伝来の慣習地の森を流れる多くの支流での漁労などをおもな生業としている。1950年代から当地で農業を営み、地元の市場で販売するコショウなどの換金作物を栽培している。ただ、ルマ・ジェフリーの森は単なる商品ではない。とくに、かれらのテリトリーの奥深くにある滝には精霊が宿ると信じられている。521ヘクタールの森を管理するコミュニティにとって森はアイデンティティの源なのである。森の精霊と交わり、森の中にある先祖の埋葬地を大切に管理してきた。しかし、コミュニティに水道へのアクセスがなく、電力網への接続もされていない。かれらの慣習的な土地の権利を政府が正式に承認したことを示す証拠書類はない。
州政府はルマ・ジェフリーの慣習地を、伐採が禁止されている保護林、択伐用伐採権、植林地に分類している。政府はルマ・ジェフリーの東側に Licence For Planted Forests (LPF)という産業植林の事業権をゼッティ社に発給した。このアナップ・ベラウィット管理地域(Anap Belawit Management Area(LPF/0039)はコミュニティのおよそ東側半分の慣習地と重複している。また、ルマ・ジェフリーの西側にはシンヤン社が伐採権を保有し、同じゼッティ社が管理するアナップ・ムプット森林管理区(Anap Muput Forest Management Unit: AMFMU)が重複する。
2022年12月にコミュニティと協働してサラワク・ダヤック・イバン協会(Sarawak Dayak Iban Association: SADIA)の地理空間専門家マテック・ゲラム(Matek Geram)が計測・作成したGISマップには、コミュニティによって遅くとも1951年から使われていたことを確認できる耕作地をはじめ、墓地、果樹園、聖地などがふくまれている。
HRWのレポートによれば、ゼッティ社は2022年にルマ・ジェフリーの先住慣習地の森をコミュニティ側の同意なしに伐採した。住民たちは伐採に抗議して、2度にわたって会社のブルドーザーに立ち向かって大切に保護してきた樹木を守ろうとした。 ブルドーザーのオペレーターと直接抗議したが、それでも伐採は止まらなかったいう。住民たちの抗議活動に対して、州の森林局(Sarawak Forest Department)はあろうことか、かれらを逮捕すると脅迫したのだ。
2022年10月14日、森林局はルマ・ジェフリーに対して立ち退き通告(eviction notice)を発出。その通告によると、コミュニティはロングハウスに住み、その土地で農業を営むことによって「アナップ保護林(“Anap Protected Forest” )」を侵害しているとして、30日以内にあらゆる建造物、作物、その他の財産を撤去して立ち退くように命じている。
ゼッティ社のLPF0039/AMFMUとルマ・ジェフリーの慣習地とのバッファーゾーンにおける伐採や作業道路の拡大の様子は、HRWが衛星画像などを利用して作成したイメージデータで克明に描かれている。直接、レポートを参照されたい。
住民の権利尊重から背を向けた木材ビジネス
サラワクの多くの先住民グループと同様、ルマ・ジェフリーもかれらが主張するテリトリーの土地権を政府から正式に承認されていない。サラワク州土地法(Land Code)は一定の条件下で先住民に対して先住慣習地(Native Customary Rights Land: NCR Land)を保障している。ただその条件は恣意的で、1958年にその領土に耕作地などの占有の形跡があったことを要求している。
「ジェフリーのロングハウスはサラワク土地法のすべての要件を満たしている。したがって、州政府はかれらの先祖代々の土地に対する慣習上の権利を法的に認めるべきです」ーHRWのレポートはSADIA事務局長のニコラス・ムジャ(Nicholas Mujah)の証言を引用している。
土地法の第5条(3)によれば、大臣の指令により、補償金の支払い代替地の提供ないしは通達を条件として、先住慣習地を消滅させることができる。しかし、コミュニティは土地の明け渡しに同意していないし、かれらのテリトリーでの無許可の活動のために被った損失に対する補償金も支払われていない。
先住慣習地が先住民コミュニティにとっていかにかけがえのない価値を有しているかはノル・アナ・ニャワイ対ボルネオ・パルプ・プランテーションの裁判において争われた。マレーシア人権委員会(SUHAKAM)は報告書“Native Perspectives on Native Customary Land Rights in Sarawak”(2008)で、「ノル・アナ・ニャワイの裁判でサラワク高等裁判所は、先住民および先住民コミュニティにとって、土地に対する権利の剥奪は生活権の剥奪に等しいと判示した」、また、「先住権原の対象となる土地は共同体の生活に不可欠な要素であり、連邦憲法第5条は、その利益を生活権として保護している」などとサラワクの先住民にとって土地との結びつきがいかに重要であるかを指摘した。
世界人権宣言や国際人権規約など「国際的に認められた人権」から見てもサラワクの森林行政と木材ビジネスの慣行は深刻な問題をはらんでいる。ゼッティ社の主張を拠り所にして森林局が立ち退き通告を執行すれば、国際的に認められた人権に違反する強制退去をおこなうことになる。
EUDR(森林破壊防止規制)では対象となる特定の品目を提供する事業者は生産国の関連法規に従って生産されていることを確認することが義務付けられている。この「生産国の関連法規(relevant legislation of the country of production)」には国際法に基づく人権保護、とくに「先住民族の権利に関する国連宣言(UNDRIP)」のもとで規定されているような先住民の権利に関するFPIC(自由意思による事前の十分な情報に基づく同意)の原則」がふくまれる。
昨年5月、HRWとブルーノ・マンサー財団(Bruno Manser Fonds)ふくむマレーシア・サラワク州の先住民族の諸権利確保に取り組む5団体は、欧州委員会に対してサラワクをEUDRの「高リスク」地域に分類するよう要望書を提出した。「高リスク」は、他の2段階である「標準リスク」や「低リスク」に比べて、より厳格なデューデリジェンス(調査)や監視が求められることを意味する。
日本の住宅・建設・建材業界が依存するシンヤン社製の合板製品
国内の住宅や商業施設などの建築現場、フローリングなどの建材に多く使用される合板。半分は海外からの輸入に頼っている。なかでもマレーシア産はインドネシア産と同じく、それぞれ輸入の4割を占めている(2024年の輸入量はいずれも59万m3)。マレーシアから来る合板のおよそ9割はサラワク産、サラワク州の「ビッグ6」と呼ばれる巨大伐採企業6社(サムリン、シンヤン、リンブナン・ヒジャウ、タ・アン、WTK、KTS)のなかでもとりわけシンヤン社製の熱帯材合板はマレーシア産のおよそ半分と見積もられる(2015年7月14日付「日刊木材新聞」)。企業の規模を問わず日本の業界にとってシンヤン社の合板製品は需要依存度が非常に高い。ホームセンターの売り場や建設現場でもっとも多く見かける合板といってもよい。伊藤忠建材をはじめとする日本の大手木材商社数社がその輸入を手掛けている。
数年前にJATANは先述のゲラムさんを日本に招き、ともに木材関連の企業を訪問し、慣習地の土地収奪をふくめ現地で起こっている問題をじかに説明した。SADIA Mukahとして活動するゲラムさんは、サラワクのNGO活動家の中でも非常に数少ないGISマッピングのエクスパート。企業から慣習地収奪の脅威を受けている多くのコミュニティから依頼を受け、無報酬で日々精力的に動き回っている。それは住民たちが最後の救済手段としている裁判闘争で、正確なマッピングデータは有効なツールとして活躍してくれるからだ。今回のHRWのレポートでもゲラムさんのこうした活動がフォーカスされている。ルマ・ジェフリーの事案についてあらためて取材したところ、「コミュニティに裁判に持ち込むほどの経済的な余力はない。州政府は立ち退きは可能だと判断しているから、NGOなどを通してこの問題を広く知ってもらうことが大切だ」と述べた。
【参考】
2024年度木材調達方針と熱帯材製品木材供給のアンケート調査結果概要
レポート『隠蔽された住宅建材 建材用合板製品が由来する森林の現場からーサラワクとタスマニア』