北海道大学大学院文学研究科教員・JATAN会員 笹岡正俊
2016年8月中旬、JATAN事務局長の原田公さん、JATANスタッフの中司喬之さんとともに、南スマトラ州ムシラワス県のチャワングミリール集落を訪問した。
この集落は、パルプ原料生産のための植林事業を行っている企業、ムシ・フタン・プルサダ(MHP)社のコンセッションエリアのなかにある。尚、MHP社は、丸紅が2005年に本格的に経営に参入し、2015年3月に完全子会社化した企業である。先ほど、「コンセッションアリアのなかにある」と述べたが、正確には、「なかにあった」と言ったほうが良いかもしれない。なぜなら、この集落は、今年3月、治安部隊の警護を受けたMHP社職員によって、メスジッド(イスラームの礼拝所)のみを残して完全に破壊されたからである。集落のあった場所は、現在は更地になっている。
この小稿では、現地で見聞きしたことを踏まえて、今回のこの事件をどのように見るべきかについて考えるところを述べてみたい。
避難民たちの今
南スマトラ州都パレンバンに事務所を構える環境NGO、インドネシア環境フォーラム・南スマトラ(WALHI Sumsel) のスタッフや、住民への聞き取りによると、MHP社による今回の強制退去措置により、約200世帯、900人余り の人びとが、住んでいた家、そして、生計手段である畑が破壊された(1)。
今回の強制排除の理由として、MHP社側は、この集落の位置している場所が、ゾウの移動ルートに位置しており、この地域が事業計画のなかで定められた「保全地域」であることを挙げている(2)。我々も更地となった集落跡地のあちこちに「保全価値の高い森林地域(HCVF Area)」と書かれた看板が立てられているのを目にした。つまり、今回の強制退去措置は、ゾウの生息地の森を守るためのもののようだ。しかし、住民の証言に依拠すると、チャワングミリール集落の形成・発展によって、この地域にもともとあった豊かな森が破壊された、ということではなさそうであった。避難民の一人、N氏は移住者の中でも比較的早くに入植した男性だが、2007年にチャワングミリール集落にやってきた当時、そのあたりには大きな樹木のある天然林は存在せず、樹木が点在する藪が広がっていたと語っていた。ただ、ゾウがこのあたりにやってくることは確かなようで、バナナや陸稲を荒らすことがしばしばあったと聞いた。
現地訪問時、チャワングミリール住民の一部(約70家族)は、近隣集落に作られた小屋(破壊された家屋の廃材を用いて建設したもの)に、残りの住民は周辺の集落の住民宅に暮らしており、日雇い農業労働者などをしながら、また、近隣住民からのわずかな食糧支援を受けながら、避難生活を送っていた。チャワングミリール集落には、住民たちがお金と労働力を出しあって建てた小学校があった。ここに通っていた約50名の生徒のなかには、避難生活を送るようになってから、全く学校に通えていない子供たちもいるとのことであった。
強制排除の倫理的問題
チャワングミリール集落は、2000年代半ばに、近隣地域からの移住者(産業造林型移住事業に参加した人びとも含まれる)が入植してできた比較的新しいムラである。行政的にはブミマクムール村に属する集落(dusun)である。MHP社が事業許可を得たのは1996年であるから、住民たちは、企業の事業地に、企業が事業許可を得たずっと後に入植したひとびとであり、その点からすれば彼らは「不法占拠者」ということになるのだろう。
しかし、彼らの多くは決して豊かとはいえない小農である。生きていくための場所、家族を養うための場所を探してこの地域にやってきた。そして、数年にわたり、藪を刈り払ってゴム園を作ったり、キャッサバ畑を経営したりして、そこに生活の基盤を築いてきた。そうした人びとの数年間にわたる労働の成果であり、暮らしの基盤である家や畑を破壊し、人びとを強制的に排除することは、たとえ法的な問題がなかったとしても、また、ゾウの生息地を守るためだとしても、倫理的な問題はないのだろうか。そもそも、住民の住居・農地を完全に破壊するしか、この問題への対処法はなかったのだろうか。
2011年に国連・人権理事会で「ビジネスと人権に関する指導原則」が採択された(3)。これは、あらゆる企業に人権を尊重する責任を果たすことを要求する原則を含むものだ。これを受け、企業は、自らの活動によって生じる、あるいは助長される「人権への負の影響」を特定し、防止・軽減すること、そして、すでに負の影響を引き起こしてしまったときには、その是正に積極的に取り組むことが求められるようになった。ここで言われている「人権」への責任は、最低限、国際人権章典(世界人権宣言など)で表明されたものに則るものとされている。
チャワングミリール集落で行われたことは、世界人権宣言で謳われている「生命、自由及び身体の安全に対する権利」を踏みにじるもので、人権擁護を重要な経営課題の一つに掲げるよう求める現在の国際的な流れに反しているように思える。さらに、丸紅は自社のホームページ上で「植林用地は地域住民の生活(中略)に配慮した方法で確保」すると述べているが 、そうした経営方針との整合性という点からも、今回の強制排除には問題があるといえるのではなかろうか。
土地紛争の背景的・構造的な問題
以上を前提とした上での話だが、今回の問題は企業にだけ帰責できない問題でもある。今回の事件の背景要因のひとつには、あたりまえのことだが、企業の事業地に集落が形成されたことがある。それには、行政の責任が大きい。チャワングミリール集落が属するブミマクムール村の元村長の話によると、当時の県知事から、チャワングミリール集落を将来的には行政村にすることを念頭に、ブミマクムール村の下位行政としてこの集落を組み込むよう働きかけがあったという。また、住民の一部は、チャワングミリール集落の住民であることを示す、ムシラワス県の人口・市民登録局が発行した住民票と身分証明書を所持している。また、集落には県政府の支援で、太陽光発電設備が建設されてもいる。これらの事実は、チャワングミリール集落が、県政府(の一部)から公式にその存在を認められた行政組織であることを示すものであるように思える。実際に住民たちはそのように思っていた。だからこそ、人びとは土地に投資をして(労働を注ぎ込んで)畑を作り、自分たちの力で集落に小学校も建てた。
また、別の問題として、広大な森林地域を、少数の企業が囲い込むことを可能にしている国の土地制度の問題もある。産業造林(パルプ原木など産業用材の生産のための造林)の事業許可の発給が可能な土地は、国有林(インドネシア国土の約7割)のなかの生産林である。スマトラ島では土地面積の実に約1/4が生産林に指定されている。そのなかには多くの村・集落が存在している。そして、おそらくほぼすべてのコンセッションで、住民と企業との土地紛争が起きている。森林政策学者の藤原敬大らによると、産業造林事業許可が下りている森林総面積979万ha(2012年)の約4割は二つの企業グループがコンセッションを有する土地である(5)。少数の企業により森が独占されていることがわかる。
MHP社が南スマトラに持っているコンセッションエリアは、約30万ヘクタール。一つの事業許可あたりの森林面積としては、最大規模の部類にはいる(インドネシアの産業造林事業体の第4位)。30万ヘクタールと言えば、東京都の約1.4倍の広さだ。アカシアとユーカリの一斉林、あるいは、収穫後の地面がむき出しになった土地が延々と続く、植林地内を伸びる車道を走っていると実感するが、MHPの事業地はとてつもない広さである。これだけの土地を一企業が囲い込み、一世帯4ヘクタール程度(強制退去後、避難民がたち返還を要求した土地面積)の小農のわずかな土地所有が叶わない現実をどのように見ればよいのか。
確かに、紙・パルプ産業は、世界の紙需要に応じる役目もあるし、国内で雇用を生み出してもいる。しかし、それを以てして、少数の企業が土地を囲い込み、多くの小農が土地へのアクセスを失うことを可能にする土地制度を「良し」としていいのか。
このような背景的・構造的な問題も視野に入れながら、この問題について引き続き考えてゆきたい。
また、ウィドド政権は、企業と農民の土地紛争の解決に向け、農地改革政策を進めている。そうした試みのひとつが、「森林地域内の土地支配の解消手続きに関する2014年第79号共同規則」(6) や「慣習法共同体および特定地域住民の土地に対するコミュナルな権利の確定手続きに関する2015年第9号農地空間計画省・国家土地局規則」(7)の制定とそれを受けての施策である。しかし、省庁間の連携がうまくいかず、うまく進んでいないと聞く。そうした政策の効果についても今後注視してゆきたい。
【注釈】
(1) MHP社と治安部隊による破壊活動は、2015年7月にもあった。このときは、農地のみが破壊されている。チャワングミリール集落の破壊のより詳細な経緯については、JATANなどないくつかのNGOが共同で丸紅に提出した「要望書」を参照のこと。
(2) インドネシア環境フォーラム・南スマトラとともに、この問題に取り組んでいるジャカルタのインドネシア環境フォーラム(WALHI Nasional)のスタッフ、K氏へのインタビュー(20016年10月7日)。
(3) 「ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために」の全文は、国際連合広報センターのウェブサイト(http://www.unic.or.jp/texts_audiovisual/resolutions_reports/hr_council/ga_regular_session/3404/)で閲覧可能。
(4) 丸紅.2010.「Marubeni CSR Report 2010」( http://www.marubeni.co.jp/dbps_data/_material_/maruco_jp/data/csr/pdf/CSR-10-J-4.pdf )
(5) 藤原敬大・サン=アフリ=アワン・佐藤宣子. 2015.「インドネシアの国有林地におけるランドグラブの現状―林産物利用事業許可の分析」『林業経済研究』 61(1),63-74.
(6) 国以外の主体による占有が本来認められない「森林地域」内の土地が、住民などによって実質的に保有・支配されているという「問題」を解決するために内務省や林業省(当時)など4つの省庁の連署による「共同規則」。これにより定めれた枠組みでは、①森林地内の土地を20年以上にわたり保有・支配してきた者(慣習法共同体の場合は10年以上)は、土地支配表明書(SPPFBT)を、県の土地局長を代表として、県政府の森林・林業関係の職員、郡長、村長などからなる「土地の支配・所有・利用・収益についてのインベントリ(IP4T: Inventarisasi Penguasaan, Pemilikan, Penggunaan dan Pemanfaatan Tanah)」チームに提出でき、② IP4Tチームは、SPPFBTについて検証を行い、そこで表明されている内容が事実であることが検証されれば、保有・支配下にある土地の地図を作成し、それを添えた報告書を林業大臣(今は環境林業大臣)に提出し、③環境林業大臣はこの報告書を踏まえて、国有林指定を解除できることになっている。
(7) この規則によると、慣習法組織が存在していること、慣習地が明確な境界を持っていることなどの条件を満たした慣習法共同体や、10年以上にわたって土地を物理的に占有し、森林地域や農園などの特定地域において土地から得られる資源を利用し、そうした利用が生計の主要手段になっているなどの条件を満たした住民に対して、コミュナルな権利を政府が認めることができることになっている。その認定作業はIP4Tが行う。この規則は、IP4Tリームの設置方法やコミュナルな権利の認定プロセスを定めている。
注記: 2016年11月に発行されたJATAN NEWS No.107(pp. 2-6)に掲載の同タイトル記事の再掲です。