JATAN創設20周年に寄せて-黒田洋一(初代JATAN事務局長)2007年12月
JATAN20周年おめでとうございます。私は初代事務局長として最初の10年あまりの事務方を担当しましたが、設立当初は、20年も継続することは想像もできず、ひとえに事務局や支援者の皆様方の尽力のたまものと思います。
JATANの設立時からこれまでの20年の時代の推移を考えると、設立時の1987年はちょうどプラザ合意後の途上国の債務危機から世界銀行の構造調整融資が始まり、一方先進国ではレーガン、サッチャーによる構造改革が始まりました。熱帯林保護運動が先住民や第三世界NGOも含めた世界的規模で広がった当時、マレーシアの地球の友や第三世界ネットワークのマーチン・コー博士をはじめとした第三世界や欧米の活動家の間で、こうした世界政治経済の変化の途上国などの社会や生態系への影響がどうなるのか、つっこんだ議論がなされました(アメリカのRAN、EDFや英国の地球の友、エコロジスト誌編集者その他のNGOの主要活動家を含め)。戦後経済を決定づけたニューディーラー的な国家による公的資金の投入による成長経済は日本を含めた多くの諸国、地域で国家経済の破綻、債務の拡大から改革を余儀なくされました。90年前後、豪州やニュージーランドなど羊毛経済の破綻から国家予算の大幅カットによる森林などの公的資産の日本や欧米の多国籍資本への切り売りなどの現象も議論されました。
それらの時代から20年近くたって日本はバブル破綻を経て初めて大きな改革への動きを見せたのはご愛敬としても、遅れて出発した東南アジア、中国やインドなどの急速な成長が一層熱帯林などの生態系への最後通達的な圧力となって現れているのは言うまでもありません。個々の森林を守るためには個別具体的な保護運動の支援を結集して行くしかありませんが、経済の大きな方向を変える努力も同時に必要です。
先日、あるテレビ番組で服部料理学校校長の服部氏による食育問題の講演で日本の食糧自給率が先進国中最低であることの背景として過剰な工業生産問題に言及していました。この問題は私が事務局長時代に日本の戦後の木材輸入と商社などとの関係を研究したときに遭遇した問題でもありました。過剰な工業生産の代償として先進国、途上国を問わず自動車や鉄鋼製品などの輸出の見返りとしての自然資源、食料輸入の拡大、余剰鉄鋼製品のはけ口としての住宅生産や公共事業への過剰資金投入や国内の農山村の小規模生産者の切り捨てなどが連続的に拡大していったことは熱帯林問題の背景として無視できません。
前回の参議院選挙で自民党が大敗し、小規模生産者保護が民主党から提出されましたが、こうした動きをどう生かしていくかが長期的な食育や生態系保護問題においても問われる問題の一つと言えると思います。90年代に入って日本の森林地域は工業社会の終末処理場となる危機的状況に遭遇しましたが、個別の森林問題と全体経済社会の方向の問題をどう追求していくか、新しい世代の活動家の新しい活動の発展を期待するところです。(抽象的な話で参考にはならないかと思いますが、私の20年の推移の感想として読み流していただければと思います)。
※2007年12月25日発行JATAN NEWS(73号)「JATAN創立20周年記念号」からの抜粋です(JATAN事務局)