最後の巨木が切られた日

−ジャンビの森と違法伐採−

加藤 剛(京都大学農学研究科熱帯林環境学研究室)

 4、5月号のニュースレターでもお知らせしましたが、インドネシアでは現在、各地で違法伐採が行われています。スマトラ島での現状を、京都大学農学研究科の加藤氏に報告していただきます。

 “Tidak lama lagi. Akan ditumbang”

 2000年9月、すべてはこの言葉から始まった。

 これは調査区内の木に記された、盗伐団が私たちに宛てた挑発だった。

 「永くは続かない、切られるぞ」。

 これ以降、私たちはずっと敗北感を味わうこととなった。

 1997年、タイに始まったアジア経済危機は、インドネシアにも波及して大きなダメージを残した。そして1998年、スハルト政権の崩壊によって、政治をも巻き込んだ混沌へと一気に向かっていった。その過程で、社会は混乱し、一部に無秩序な状態が広がっている。また、最近進められている地方分権化も、結局のところ各地にミニ・スハルトが生まれただけで、彼らが利権を獲得するために先を争った結果、開発が一遍に進んだような感もある。

 私たちは1995年以来、スマトラ島のジャンビ州にあるガジャマダ大学演習林で、熱帯林の生態研究を行ってきた。熱帯林の研究といえば、マレーシアのパソーやサラワク州ランビル国立公園に代表されるように、多くの場合天然林で行われてきた。しかしながら、私たちの研究は1980年代に商業伐採が行われた林を対象としている。1980年代といえば、インドネシアでは1970年代から続く木材生産がピークに達し、1985年に丸太材輸出禁止の処置がとられたものの、合板の生産量が世界のトップレベルにまでなった時代である。そのため、スマトラ島やカリマンタン島では、国立公園などを除いて、これまでにほとんどの森で商業伐採が行われた。しかもスマトラ島の低地部では、天然林は全くといっていいほど残っていない。それならば、かつて伐採が入った森をうまく修復して、多様な生態系や森林の機能を保持できないか、あるいはそれらを損なうことなく木材生産を維持するには、どのような管理方法が必要であるかを模索するために研究をはじめた。はじめて入った頃には、アジアゾウ、スマトラトラ、マレーバク、マレーグマといった絶滅を危惧される大型の哺乳動物がいて、このまま管理していけば貴重な森になると期待していた。

 調査は万事順調に進んでいるかのように見えた。何かがおかしくなっていると感じ始めたのは、1997年の大規模森林火災がきっかけではなかったかと思う。当時の煙害は惨憺たるものだった。ジャンビ州という地名は知らなくても、当時のニュース等で報じられた煙害の様子は覚えている方も多いと思う。なぜあれほどまでにひどい結果になったかについては、当時もさまざまな情報が流れた。しかし、ジャンビ州ではアブラヤシのプランテーション拡大が大きな原因であったと言わざるを得ない。煙害と同時にプランテーションが大幅に広がったわけだが、その一方で同じ広さの森が消えた。

 その後、各地で違法伐採の情報を耳にするようになった。近くでは、著名なフランス人研究者が昔調査していた、パシルマヤンの森が1998年に伐採されたという話を聞いた。違法伐採の集団は大規模で、何台ものトラックを連ねてやってくる。いつかは私たちの調査区もやられるかもしれないと、危惧するようになった。森林局の警察に協力を求め、定期的な巡回のパトロールを要請した。確かに一時的な効果はあった。しかし、警察や森林局には賄賂が回っており、一度逮捕されてもすぐに釈放されて、再び現場へ戻ってくる。また、経済危機以降、町では仕事がない人間があふれ、代わりはいくらでもいた。

 ある時、演習林のスタッフが結婚式から帰る途中で待ち伏せされ、盗伐団の一味に殴られるという事件が起こった。さらにある時は、盗伐団が演習林宿舎を襲うという噂が巷で流れ、いつでも夜逃げできるような準備をしたこともあった。このように巡回パトロールはかえって仇となり、盗伐団の恨みを買うはめになった。このような状態になると、すでに皆の中にもあきらめの雰囲気が漂うようになった。

 挑発の言葉を残していってから1ヵ月後、ついにその日はやってきた。ずっと周囲をうかがっていた盗伐団は、日本人研究者が一時的に現地を離れた途端、一斉に調査区へ入った。盗伐団は、森から遠く離れた町、ムアラトゥボからやってきた。普段は10人ほどだが、多いときには100人近くもいた。そして、一気に伐採していった。

 2001年2月、現地へ入った時に、丸太として残された材をすべてチェックすることができた。直径40cm以上の樹木で、商業用に使われる樹木(ラワン)はほとんど切られてしまっていた。ほとんどが製材工場や、マレーシアに流されているという。ちなみにマレーシアでは、合板を作る機械の性能が高いため、より小さなサイズの丸太でも対応できるという話を聞いたことがある。

 しばらくして、町からやってきた盗伐団の動きは収まった。しかしながら、彼らの挙動は、地元の村の人間に「俺らも切らないと損だ」という考えを呼び起こしてしまった。そして、地元盗伐団が活発に動くようになった。彼らは樹木を切り倒して、その場で角材や板にして持ち出す。材は地元の村で売られる。8月現在、地元盗伐団が2グループ、毎日伐採と製材のために調査区周辺に入って来る。もちろん大学演習林の中なのだが、せめて調査区の外でやってくれと頼み込むくらいしかできることはない。木を切らないでくれと頼むと、必ず「俺らは小さな木しか切っていない。町の人間はもっと大きな木を切っていった」と子供っぽい言い訳をする。

 私たちが最後まで守ろうとしていた直径140cmにもなるフタバガキ科のアニソプテラ・レービスという巨木があった。しかし、8月14日、とうとう切られてしまった。1本の木が倒れて、林冠が大きく開いてしまった。森はスカスカの状態となって、アジアゾウやスマトラトラもだいぶ前に消えた。私たちの心にもぽっかりと隙間が開いてしまった。いつまでこの状況に耐えればいいのだろうか?

 これ以上の無秩序な破壊を防ぐために、バレーボール大会による地元住民との交流を計画した。大会のために、私たちはメッセージ入りのTシャツを350枚、さらに大量のビラを用意した。そして、地元国営テレビや地元新聞にも協力を呼びかけ、より多くの人々にこの問題を訴えかけようとした。8月18〜19日、大会は2日間に渡り、43チームが参加しての大成功に終わった。また、Tシャツ、ビラも大好評だった。ビラは、村に持って帰って、みんなに配るという人がいた。その村でも、盗伐問題に悩んでいたという。町からやってきた学校の先生は、授業で学生に配ってくれるという。少しずつ何かが変わっていくような期待を感じさせるものだった。

 最後に、違法伐採が私たちの生活と決して無縁ではないということを紹介しておく。地元盗伐団から聞いた意外な話だった。その盗伐団が伐採していたのは、現地名で「クンパス(Kempas)」というマメ科の樹木だが、彼らが言うには「輸出用」だという。確かにホームセンターやちょっとしたスーパーに、「ニュー・ケンパス(読み方が違うだけ)」という名前で、インドネシア産のデッキ材が安値で売られているという話を聞いたことがある。その流通過程について、ちゃんと調べたわけではないので、はっきりとは断定できない。しかし、もしかしたら違法伐採によって得られた材が、日本で安く売られている可能性はないのだろうか? 盗伐団の言った、「輸出用」という言葉が気になって仕方がない。■             

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